著作権法からみた小保方晴子氏のコピペ問題についての一考察

 小保方晴子氏の論文がいろいろと問題になっているようです。
 私は法律家なので、法律実務家としての観点でしか発言できません。例えでいうと、テニスプレイヤーであった松岡修造さんが他のスポーツの解説をやっていますよね。それは、皆さん承知の上で、ありえる一つの意見として消費しているわけです。
 ですから、科学的な観点からの研究の成果については、追試の結果を待つとして、本考察は、あくまでも、著作権法という観点からの、法律実務家としての一考察です。

 他人の著作物のコピーアンドペーストが著作権侵害として違法になるかに問題を限定すれば、原則として違法です。
 それは、英語論文の特定の表現は別という限定は著作権法にないからです。別の観点からの例外はあります。定型的な誰が書いても同じようにならざるを得ないような文です。新聞の死亡記事のような文ですね。
 原則と例外のどちらにあたるか、どのような場合に著作権侵害になるかといえば、それは程度問題ですが、それを判断する人は誰か、ということが問題の本質なのです。
 もちろんそれは裁判所です。
 小保方晴子氏の論文が剽窃にあたるか否かは、最終的には、著作権者が裁判所に訴えて、判決がでるまでわかりません。
 著作権者は、そもそも当該論文を読まないかもしれません。読んで剽窃だと思っても、訴えないかもしれません。その理由は、手間、費用、利益とか、いろいろあると思います。そのような観点から、法律実務家としてアドバイスさせていただくこともあります。

 法律に従って判決によって結論がでる以前の問題として、研究倫理の問題があります。
 アドバイスする側の選択肢として、最終的に違法と判断されるまではフリーだと考える依頼人がいたとして、それまではどんどんやりたいという人から、法律論に限定してアドバイスしろといわれた場合、お薦めしないけど違法とは言い切れませんというアドバイスになります。依頼人の質問は結論を含んでいるので、それ以外の回答はないわけです。
 他の選択肢として、信頼関係を前提に、オープンで、どうしたらいいですか、と聞かれた場合、コピペは絶対にしてはいけませんというアドバイスになります。それは、統一的な観点からアドバイスをしようとすれば、研究倫理の問題としても、教育の問題としても同じ結論になるはずだからです。法律というのは、社会の一面を一つの観点から切り取ったものにすぎませんとアドバイスします。

 もちろん、どのようなコピペも絶対に許されないというのはおかしいという議論はありえます。科学の英語論文のある一定の範囲に限って認められてしかるべきという議論もありえますが、それは立法論の一つの選択肢にすぎません。
 著作権法という観点からは、いざ立法をしようとすると、ユーザー側の要請と、著作権者側の要請が激しく対立しており、その争点を明示した場合、関係諸各国を巻き込んだ条約問題になります。
 英語圏の方々が寛容の精神から譲歩してくれることは見込み薄です。

 今回の問題を離れて、英語で科学論文を書く場合に定型的な例文をあげる必要性があるというのであれば、日本の科学者が協力して、ウィキペディアのように著作権を放棄してネット上に科学的な英語の定型文をアップするというような建設的な方策もありえると思えます。
 
 
 



このブログの人気の投稿

第一東京弁護士会新進会のサイトが公開されました。

中小企業専門家育成講座(グレーゾーン解消制度について)を開催しました。