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最高裁が被告人の供述を制限した地裁の対応を批判

  最高裁が地裁の対応を批判し、裁判長が補足意見でこういう対応をすべきであったと詳細を述べるというという判決がでたとの報道 に接しました。珍しいと思います。  報道では、法律的な知識がないため、 ちょっとおかしな表現をしているもの が多く、わかりにくいものとなっておりますが、事件の経緯は以下のようなものであったようです。    判決の全文は最高裁判所のHPで公開されています。詳しくは こちら を。  ①公判整理手続きで弁護側はアリバイの主張をしたものの、具体的な主張をせず、裁判所も釈明を求めなかった。  ②被告人が公判で具体的なアリバイの供述を始めたところ、検察官から(公判整理手続きで主張されておらず、事件と)「関連性なし」との異議が出され、裁判所がこれを認め、被告人の供述を制限した。  ③被告人は、最終弁論で、具体的なアリバイを陳述し、裁判所もこれは制限しなかった。  最高裁は、以下のように判断しました。  ①で弁護側はアリバイの主張はしているから、②の検察官の関連性なしという異議がそもそも間違っている。  したがって、検察官の異議を認めた裁判所の判断も間違っていて法令に違反してる。  しかしながら、③で、具体的な陳述をして、裁判所もこれを制限しなかったから、有罪という結論に変わりはないから、被告人の上告は棄却する。  検察官出身の裁判長の小貫芳信裁判官の補足意見を意をくんでおおざっぱにいうと以下のようなものです。  ①そもそも裁判所は公判整理手続きの段階で、弁護側にアリバイの主張について、具体的にせよと釈明を求め、それができないというのであれば、その理由を明らかにしておくべきだった。  ②本件では、関連性がないという検察官の異議は無理がある。ちょっと肩を持つなら、アリバイを立証する人物の証人尋問等公判整理手続きで予定されていない立証手続きが必要になることから、検察官が新たな主張と考えたのかもしれないが、主張と立証は別のものだから、被告人の供述を聞いた上で、真偽確認のための反対尋問をすべきであった。  ③弁護人も誤解が生じないように事前に連絡をすればよかった。  ④裁判所もたとえ新たな主張であったとしても、供述を制限するのではなく、新たな主張をするに至った理由も含め、その信用性を吟味して判断すればよかった。  直接証拠を...

責任能力のない未成年者の監督責任に関する最高裁判例

  「小6蹴ったボールよけ死亡、両親の監督責任なし」 というニュースに接しました。  判決全文は こちら で公表されています。結論としては妥当な判決だと思いますが、11年かけて最高裁まで争わないとこの判決がでなかったということに疑問が残ります。  遺族側の弁護士は、民法709条又は714条1項に基づく損害賠償を子供の両親に対してのみ請求していました。   民法714条1項 は次のように規定しています。 前二条の規定により責任無能力者がその責任を負わない場合において、 その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、 その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。 ただし、     監督義務者がその義務を怠らなかったとき、は、この限りでない。 1.の責任無能力者というのは未成年者のことで、 民法712条 は次のように規定しています。 未成年者は、 自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかったときは、 その行為について賠償の責任を負わない。 2.は「責任弁識能力」と呼ばれています。法的な責任を負うかもしれないと理解できる能力のことですが、判決では、その下限は11歳から14歳まで広く分布して分かれており、今回も責任能力はあると判断される可能性もあったのですが、判決では、責任弁識能力はないと判断されています。  常識的に考えると、11歳になれば、自分が間違ったことして人に怪我をさせれば単に謝って済むことではなく、法的な責任を負わなければならないのではないかということくらいわかる知能はあるではないか、とも思いますが、後に説明する昭和49年の最高裁判決がでるまでは、責任能力があるとされると民法714条の不法行為が成立せず、被害者が救済できなくなってしまうので、ちょっと無理して高い年齢の子供でも、そんな知能はない、と説明してきたのです。学説では、 自分が間違ったことして人に怪我をさせれば単に謝って済むことではなく、法的な責任を負わなければならないのではないかということくらいわかる知能は 6、7歳ならあるのじゃないか、などと言われています。  実は、ここが訴訟のテクニックに左右されるところで、今回のように、あえて学校は訴えないとか,民法709条だけで請求しちゃうとか、民法719条1項だけで請求しちゃ...

三鷹ストーカー事件控訴審破棄判決の解説

 三鷹ストーカー事件の一審判決が破棄されたとの報道に接し,とても驚いています。  懲役22年の判決が破棄され,1審に差し戻され,もう一度裁判員裁判をやり直すことになります。  ご遺族のお気持ちを察すると,いたたまれない気持ちになりますが,法律論としてはやむを得ないところです。  新聞記事のみで判決書を見たわけではないので,若干推論も混じりますが,わかりやすいのは 産経新聞の記事 でしょうか。この記事には,「大島隆明裁判長は「名誉毀損罪を実質的に処罰する判決で、1審の審理の進め方には違反がある」と指摘。」と書いてあります。  司法研修所といって,司法試験に受かった後に通う学校で勉強するときに使うテキストに「刑事判決書起案の手引き」という本があります。この本には,「判決書に「罪となるべき事実」を記載するにあたっては,他の犯罪をも認定したのではないかと疑われるおそれのある表現はできる限りさけなければならない」と記載されています。  一例をあげると,強盗において、住居侵入が起訴されていないのに,事実として住居に入って強盗をしたからといって,「○○方に押し入り」などと書いていけないと厳に戒められたのを思い出しました。  今回は,「池永被告が交際中に撮影した生徒のプライベートな画像を事件前後に流出させた「リベンジポルノ」に着目して,これを判決書に記載して,「名誉毀損罪を実質的に処罰する」ことは許されないとしたのです。ただし,この判決もリベンジポルノを「量刑を考慮する要素に取り入れること自体は否定」していないのですが,つまり,判決書に名誉棄損的な事実を記載したというような単なる判決の表現を問題にしたのではなく,「裁判開始前に裁判官と検察・弁護側の三者で行われる公判前整理手続きについて「(リベンジポルノについて)主張・立証を行うことの当否、範囲や程度が議論された形跡は見当たらない」こと,つまり,審理の内実が伴っていなかったのではないか,という点に着目して,裁判をやり直させることにしたのです。  控訴審の弁護人は,「同種事案に比べて、1審判決は重すぎる」と主張、検察側は控訴棄却を求めていた。」とあるので,おそらく弁護人が気付かなかった,主張していない論点を裁判所が職権で判断したのではないかと思われます。  以上は,司法試験合格後に直ぐ習うことなので,極...

ウィンドウズXPを使い続けることの法的なリスク

 とうとうウィンドウズXPのサポート期間が2014年4月9日に終了しました。この点に関する過去の記事は こちら をご覧ください。  XPに対応していたワード2003、エクセル2003等オフィス2003も同時にサポート終了になります。詳しくは、 マイクロソフトのHPをご覧ください 。  たとえ自分のパソコンに漏れて困るような個人情報が入っていないとしても、悪意ある攻撃の踏み台にされたりするなど他人に損害を与える可能性があります。   警視庁もその危険性を警告をしています ので、決して安易な気持ちで使い続けないでください。  現時点では、裁判で現に訴訟を提起されたという事案には接していませんが、サポートの切れたパソコンを利用して他人に損害を与えた場合、法的責任を免れるのは極めて難しいでしょう。本人に悪気はなくとも、他人に損害を与えることは当然予想できたと言えるからです。損害がどの位広がり、大きなものになるのかも運次第と言わざるを得ません。  もしどうしても使いたいということであれば、LANから外し、インターネットを使用せず、USBも使用禁止するしかありませんが、それってもうパソコンではないですよね。純粋なワープロです。

著作権法からみた小保方晴子氏のコピペ問題についての一考察

  小保方晴子氏の論文がいろいろと問題 になっているようです。  私は法律家なので、法律実務家としての観点でしか発言できません。例えでいうと、テニスプレイヤーであった松岡修造さんが他のスポーツの解説をやっていますよね。それは、皆さん承知の上で、ありえる一つの意見として消費しているわけです。  ですから、科学的な観点からの研究の成果については、追試の結果を待つとして、本考察は、あくまでも、著作権法という観点からの、法律実務家としての一考察です。  他人の著作物のコピーアンドペーストが著作権侵害として違法になるかに問題を限定すれば、原則として違法です。  それは、英語論文の特定の表現は別という限定は著作権法にないからです。別の観点からの例外はあります。定型的な誰が書いても同じようにならざるを得ないような文です。新聞の死亡記事のような文ですね。  原則と例外のどちらにあたるか、どのような場合に著作権侵害になるかといえば、それは程度問題ですが、それを判断する人は誰か、ということが問題の本質なのです。  もちろんそれは裁判所です。  小保方晴子氏の論文が剽窃にあたるか否かは、最終的には、著作権者が裁判所に訴えて、判決がでるまでわかりません。  著作権者は、そもそも当該論文を読まないかもしれません。読んで剽窃だと思っても、訴えないかもしれません。その理由は、手間、費用、利益とか、いろいろあると思います。そのような観点から、法律実務家としてアドバイスさせていただくこともあります。  法律に従って判決によって結論がでる以前の問題として、研究倫理の問題があります。  アドバイスする側の選択肢として、最終的に違法と判断されるまではフリーだと考える依頼人がいたとして、それまではどんどんやりたいという人から、法律論に限定してアドバイスしろといわれた場合、お薦めしないけど違法とは言い切れませんというアドバイスになります。依頼人の質問は結論を含んでいるので、それ以外の回答はないわけです。  他の選択肢として、信頼関係を前提に、オープンで、どうしたらいいですか、と聞かれた場合、コピペは絶対にしてはいけませんというアドバイスになります。それは、統一的な観点からアドバイスをしようとすれば、研究倫理の問題としても、教育の問題としても同じ結論になるはずだからです。法律というのは...